hayashi_77のブログ

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世界遺産登録直前! 渦中の宗像大島から見る『「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群』と地元の声

私が住んでいる大島には、日本が世界遺産に推薦している『「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群』のうち、2つの構成資産があります。

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先日、世界遺産登録の可否を調査する諮問機関であるイコモスが、構成遺産のうち、沖ノ島とその周辺の岩場だけを世界遺産として登録するように勧告し、様々な議論をよんでいます。

mainichi.jp

イコモスの勧告通りになれば、大島の「中津宮」と「沖ノ島遥拝所」は世界遺産から除外されてしまうわけですが、大島の島民は期待を捨ててはいません。7月上旬の決定を固唾を飲んで見守っています。

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私はこの島に移住する前から、世界遺産登録を目指していることはなんとなく知っていましたが、その詳しい内容は知りませんでした。

でも渦中の大島に住んだことで少し詳しくなったので、『「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群』について、わかりやすく説明すると共に、地元の声をご紹介したいと思います。

 

 『「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群』の概要

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この遺産群は、大きく以下の5つから構成され、「神宿る島」沖ノ島を崇拝する伝統が1500年以上にわたり今日まで継承されてきたことを物語る遺産群です。

沖ノ島を起源とする信仰を現在に伝える宗像大社と、古代祭祀を行った人々の古墳群からなります。

cacoo.com

キーワードは「信仰」

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玄界灘にポツンと浮かぶ沖ノ島は、日本列島と朝鮮半島との間に位置する断崖絶壁の孤島です。周辺に陸地もなく、命がけの航海を行なっていた古代人にとって、この島は絶海のオアシス。神を感じたのも想像に難くありません。

沖ノ島への信仰は、航海や漁業といった海上での活動に伴う危険への対応から生まれたもので、最初は島自体を神とする自然崇拝だったものが、やがて宗像三女神信仰になり、それが今も宗像地域の人々の生活に息づいています。

 

宗像三女神を祀る「宗像大社

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宗像大社は、「古事記(712)」「日本書紀(720)」にも登場する全国でも有数の古社で、全国に6200社ある宗像三女神を祀る神社の総本宮です。

宗像三女神とは天照大神の御子である3人の女神のことで、田心姫神(たごりひめのかみ)は沖ノ島の沖津宮、湍津姫神(たぎつひめのかみ)は大島の中津宮、市杵島姫神(いちきしまひめのかみ)は九州本土の辺津宮にお祀りされ、この三宮を総称して「宗像大社」といいます。

もともとは海上交通の神様なのですが、自動車が普及するにつれ交通安全の神様となりました。福岡県内で新車を買った人は宗像大社で車祓いをすることが多く、車につける交通安全のお守りは宗像大社が発祥です。

「神宿る島」宗像・沖ノ島

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沖ノ島は全島が宗像大社の境内地になっている神の島です。宗像大社神職1人が10日交代で島に常駐し、毎朝社殿で神事を行なっています。(神職を島へ送るのは大島の海上タクシーのお仕事です。)

「海の正倉院」と呼ばれる理由

朝鮮半島や中国大陸との交流が盛んに行われた4世紀後半から9世紀末、沖ノ島を経て朝鮮半島へ渡る海上ルートは、国家にとって重要なルートでした。そのため沖ノ島では航海の安全を願って、貴重な奉献品(金の指輪やガラスの杯など)を用いた国家祭祀が行われました。

沖ノ島には、厳しい入島制限や、島のものの持ち出し禁止などの禁忌があり、これらの遺跡がほぼ手つかずの状態で残りました。沖ノ島から発見された8万点に及ぶ膨大な数の神宝は全て国宝に指定され、このことから沖ノ島は「海の正倉院」といわれています。

禁忌

沖ノ島にはいくつかの禁忌があります。女人禁制であり、男性も宗像大社の許可なしには上陸できません。上陸する際には、真冬でも裸で島の前の海中につかって禊をします。また、沖ノ島のことは恐れ多いのでみだりに語ってはいけないとされ、そのためこの島は「不言様(おいわずさま)」といわれてきました。島にあるものは一木一草一石、一握りの砂といえども持ち出すことは許されません。この掟は昔からのもので、今でも固く守られています。

沖ノ島を守ってきた漁師たち

宗像地域の漁師にとって、沖ノ島周辺の海域は昔からの良い漁場です。あまり知られていませんが、沖ノ島は現在でも海が荒れた時に漁船が避難するための退避港になっています。

大島の漁師は、昭和40年頃までは沖ノ島に小屋を立てて泊まりがけで漁をしていました。これはその頃(昭和初期)の写真です。

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上陸前に禊をする様子も写真に残っています。

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船の性能がよくなって大島まで日帰りで帰ってこれるようになったため、現在は小屋はありません。しかし現在でも、大島の漁師は漁の途中に沖ノ島に停泊すると、必ず献魚をしています。 

また、漁師たちにとって船をつける港と鳥居をくぐった島の内部は明確に違い、鳥居の内は神の領域として、入ることはまずないそうです。

大島をはじめとする宗像地域の漁師によって、沖ノ島は現在まで守られてきたのです。

現地大祭

毎年5月27日に、明治38年に沖ノ島近海で繰り広げられた日本海海戦を記念して「現地大祭」が行われます。

年に一度だけ、宗像大社から抽選で選ばれた一般男性200人が沖ノ島に上陸し、祭典に参列します。現地大祭の前日は参加者全員が大島に宿泊するため、大島は賑わいます。

今年は約700人の応募があったそうです。福岡県のみならず、大阪、名古屋、東京など、日本全国から参加されています。www.asahi.com

 

構成遺産の紹介

沖津宮(沖ノ島

沖ノ島全体と三つの岩礁からなる宗像大社沖津宮(むなかたたいしゃおきつみや)は、宗像大社の三つの宮の一つで、田心姫神(たごりひめのかみ)を祀っています。国史跡「宗像神社境内」の一部であり、天然記念物「沖の島原始林」に指定されています。

沖津宮遙拝所(大島)

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18世紀までに大島の北岸に設けられた沖津宮遙拝所は、通常は立ち入ることのできない沖ノ島を遥か遠くに拝むための場です。その社殿は、島そのものをご神体とする沖ノ島に対する拝殿の役割を果たしています。

中津宮(大島)

f:id:hayashi_77:20170128121445j:plain宗像三女神の一神・湍津姫神(たぎつひめのかみ)をお祀りする中津宮は、島の南西岸に海を隔て、辺津宮と向かいあって鎮座しています。 永禄9年(1566)に造営された本殿は、伝統的な三間社流造で、県の文化財にも指定されています。

辺津宮(九州本土)

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辺津宮は、宗像大社を構成する三宮の一つで、宗像三女神市杵島姫神(いちきしまひめのかみ)が祀られています。 拝殿は天正18年(1590)に小早川隆景が再建したもの、本殿は天正6年(1567)に最後の大宮司となった宗像氏貞が再建したもので、共に国の重要文化財になっています。

新原・奴山古墳群(九州本土)

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5〜6世紀に築かれた新原・奴山古墳群は、沖ノ島に対する信仰の伝統を築いた宗像氏のお墓です。福岡県内全体で約200基の前方後円墳が発見されていますが、そのうちの40基が宗像地域にあります。

宗像海人族

宗像地域には古代から海に関わりのある集団が暮らしていて「宗像海人族」と呼ばれました。優れた航海術を持った彼らは大和朝廷から重要視され、天武天皇の側室の一人、尼子娘(あまこのいらつめ)は宗像の豪族の娘です。

「宗像海人族」は航海の危険を乗り越え、古代において日本の発展に陰ながら大きな役割を果たしました。

 

世界遺産になると何がいいの?

沖ノ島の入島禁止の掟は、海上保安庁などと協力しながら守られていますが、船の性能が上がり短時間で海上を移動できるようになった現代では、宗像大社や地元の漁師だけで沖ノ島を守っていくのは難しい側面があります。

今後はその価値を広く知ってもらい、保護の必要性を訴えていく予定です。

 

地元の声

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最初は世界遺産に登録することで「沖ノ島が荒らされるのでは」と反対の声もあったようです。今は概ね「世界遺産になったらいいね」という雰囲気ですが、立場によって少し見方が違うようです。

サービス業

世界遺産になったら知名度が上がって、大島に観光のお客さんが増えるので嬉しい。

漁師

世界遺産になっても沖ノ島の入島禁止の掟は変わらないので、どっちでもいい。

昔から大島に住む板矢さん

沖ノ島とそれを中心とする信仰には価値がある。民族の宝。みんなで守っていかないと将来に残せないので世界遺産になって欲しい。

 

まとめ

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世界遺産として認められるかどうか、来月上旬には決定します。ですが、もし認められなかったとしても、大島を含む宗像地域に暮らす人々は、これまで通り沖ノ島宗像大社を大切に信仰していくでしょう。
また、ここまで読んでくださったあなたももう、大島にきてこの文化に触れたいと思われているのではないでしょうか?ぜひ大島に遊びにきてください。気が良くお酒好きな宗像海人族の子孫たちが迎えてくれることでしょう。

 

最後に  

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このブログを書くにあたり、昔から大島に住む方々にご協力を頂きました。

まず、沖ノ島と大島の関わりについてお話を聞かせてくださり、この記事のほとんどの写真を提供して頂いた 板矢 英之 さん。

大島のカンス海水浴場前で Musubi Cafe を経営されている草野ご夫妻には、板矢さんを紹介して頂き、お話を聞く場所を提供して頂きました。(あと甘夏ジュースも出して頂きました。美味しいので大島にきたらぜひ飲んでください。)

本当にありがとうございました!

 

追伸:板矢さんにお借りした写真は貴重なものが多いので、これを元にまたブログを書こうかと思っています。

 

参考サイトと書籍: