【祝!世界遺産登録】はじめての休日を迎えた宗像大島
先週7月9日(日)に「『神宿る島』宗像・沖ノ島と関連遺産群」が世界遺産に登録されました!!!
イコモスの勧告を覆しての、大島の「中津宮」と「沖津宮遥拝所」を含む8資産全ての世界遺産登録は、関係者の方々の努力の賜物だと思います。本当におめでとうございます。
『神宿る島』宗像・沖ノ島と関連遺産群」の詳細については以前の記事でご紹介していますのでこちらをご覧ください。
この3連休は世界遺産になってからはじめての休日でした。
沖ノ島 一般の上陸全面禁止へ
3連休の幕開けはこのニュースからでした。
1958年から毎年5月27日に、沖ノ島で日露戦争の戦没者を慰霊する「現地大祭」が行われてきました。宗像大社から抽選で選ばれた一般男性200人が参列するため、一般人が沖ノ島に上陸できる唯一の機会だったのですが、来年度からは中止になります。
これにより、神社関係者と学術調査を行う研究者以外の一般人が、沖ノ島に上陸することは完全に出来なくなりました。世界遺産に登録されたことを受けて、これまでよりさらに厳しく沖ノ島を守るため、このような決定になったようです。
沖津宮遥拝所に参拝しましょう
このニュースに、来年の「現地大祭」に申し込みをしようと思っていた方はがっかりされたことでしょう。そんな方のために大島の「沖津宮遥拝所」はあります。
「遥拝」とは「遠く離れた所から神仏などをはるかにおがむこと」です。「沖津宮遥拝所」は通常は行けない沖ノ島の沖津宮を大島から参拝するために作られました。ぜひ遥拝所にご参拝ください。
遥拝所は沖ノ島が見えるように海を背にして建てられています。夏場は天気が良くても沖ノ島が見えないこともありますが、冬場は比較的よく見ることが出来ます。
大島交流館がオープン!
沖ノ島や大島の豊かな自然・歴史・文化など島の魅力を発信する施設として「大島交流館」がオープンしました!(以前は漂流物博物館だった建物をリニューアルしてのオープンです)
7月16日にはオープン記念のラジオ公開生放送も行われました。
宗像・大島交流会館オープン記念 「おすぎとコウジの宗像oh!島!」公開生放送|KBC九州朝日放送
たくさんの来島者で賑わった3連休
この3連休は来島者がとても多く、定期のフェリーには人が乗り切れず、臨時便の旅客船が出ていました。臨時便が出るのを初めて見ました。
また、島内の観光地を巡る観光バスや警察官も2倍体制でした。
大島は、世界遺産になった中津宮や沖津宮遥拝所を見る以外にも、海水浴、トレッキング、釣りと、色々な楽しみがあります。
信号機もない小さな島ですが、世界遺産に登録されたことによって、これからどうなっていくのかとても楽しみです。
縁結びに効く宗像大社中津宮の七夕まつり
今日は七夕ですね。全国各地で七夕祭りが行われていますが、短冊に願い事は書かれましたか?
大島では毎年8月7日(旧暦の7月7日)に 宗像大社 中津宮 で七夕まつりが行われます。
参道が竹灯籠でライトアップされ、幻想的な雰囲気が漂いとても美しいです。
どんなことをしてるの?
中津宮の周りに笹竹をたて、それに願い事を書いた五色の短冊を飾ります。神事の後、境内で七夕踊りが奉納され、日が落ちると参道に飾られた竹灯籠に灯がともります。
出店も出て、夜遅くまで賑わいます。この日は島外からもたくさんのお客様がいらっしゃるので、帰りの船として21時に臨時便が出ます。
中津宮の七夕祭の歴史
中津宮の七夕祭は約800年前の鎌倉時代まで遡ることができ、七夕伝説発祥の地といわれています。
「正平年中行事」(1346)には、7日間の参籠(お祭りの前から俗界を避けてお籠もりすること)の後、水に映る姿によって男女の縁を定めたと書かれています。
中津宮の境内を流れる川は天の川と呼ばれ、その清流を挟んで牽牛社と織女社があります。大島では昔から男の子が欲しい場合は牽牛社、女の子が欲しい場合は織女社に詣でるという信仰があります。
縁結びにご利益がある?
中津宮の七夕祭は「恋愛成就」「開運招福」「悪疫退散」を祈る神事です。鎌倉時代から縁結びの風習や盛大な歌会(現代の合コンのようなもの)が行われていました。
また、天の川に思う人の名前を記した短冊二つを流し、並んで流れればその縁談は纏まるとも言われています。現代ではこの占いをしている人はいませんが、中津宮には水に浮かべるとお告げが浮き出てくる「水みくじ」というのがあります。
中津宮は最近パワースポットしても注目されていますし、ご利益はあると思います(^_^)
中津宮の七夕伝説
中津宮は七夕伝説発祥の地と言われ、ロマンチックなお話が伝わっていますのでご紹介させて頂きます。
遠い遠い昔に、ある貴族の若者が朝廷の命令で海を渡り、中国から数人の機織り上手な女の人を連れて帰国する途中、その中の一人に恋をします。やがて、役目を果たした若者は都に帰り、彼女たちは宗像大社辺津宮に預けられました。
若者は恋人を思ってわびしい日々を送っていたところ、ある夜、夢の中に宗像の神という天女が現れ「宗像の中津宮に行きなさい」と告げます。若者はお告げに従い、都での仕事をやめて、中津宮で神に仕える道を選びました。
ある星のきれいな夜のことでした。いつものように天の川で禊をしている時、身にかける何杯目かの手桶の中をのぞいてみると、片時も忘れたことのないあの恋人が、今にも語りかけんばかりに水に映っているではありませんか。それから七夕の頃になると手桶の中に恋人の姿が映り、二人は時のたつのも忘れて黙って見つめあい、幸せなひと時を過ごしました。
そしていつしか、二人の姿は辺津宮と中津宮から見えなくなったそうです。めでたく結ばれ、宗像の地のどこかに住んだとも、逆に結ばれぬままに、それぞれ遠いところに移り住んだともいわれました。
最後に
今「七夕祭りを盛り上げるぞ!」と様々な企画が進行しているところです。詳細はまた後日、ご紹介したいと思います。
皆様の願い事が願いごとが叶いますように!
世界遺産登録直前! 渦中の宗像大島から見る「『神宿る島』宗像・沖ノ島と関連遺産群」と地元の声
私が住んでいる大島には、日本が世界遺産に推薦している「『神宿る島』宗像・沖ノ島と関連遺産群」のうち、2つの構成資産があります。
先日、世界遺産登録の可否を調査する諮問機関であるイコモスが、構成遺産のうち、沖ノ島とその周辺の岩場だけを世界遺産として登録するように勧告し、様々な議論をよんでいます。
イコモスの勧告通りになれば、大島の「中津宮」と「沖ノ島遥拝所」は世界遺産から除外されてしまうわけですが、大島の島民は期待を捨ててはいません。7月上旬の決定を固唾を飲んで見守っています。
私はこの島に移住する前から、世界遺産登録を目指していることはなんとなく知っていましたが、その詳しい内容は知りませんでした。
でも渦中の大島に住んだことで少し詳しくなったので、「『神宿る島』宗像・沖ノ島と関連遺産群」について、わかりやすく説明すると共に、地元の声をご紹介したいと思います。
「『神宿る島』宗像・沖ノ島と関連遺産群」の概要
この遺産群は、大きく以下の5つから構成され、「神宿る島」沖ノ島を崇拝する伝統が1500年以上にわたり今日まで継承されてきたことを物語る遺産群です。
沖ノ島を起源とする信仰を現在に伝える宗像大社と、古代祭祀を行った人々の古墳群からなります。
キーワードは「信仰」
玄界灘にポツンと浮かぶ沖ノ島は、日本列島と朝鮮半島との間に位置する断崖絶壁の孤島です。周辺に陸地もなく、命がけの航海を行なっていた古代人にとって、この島は絶海のオアシス。神を感じたのも想像に難くありません。
沖ノ島への信仰は、航海や漁業といった海上での活動に伴う危険への対応から生まれたもので、最初は島自体を神とする自然崇拝だったものが、やがて宗像三女神信仰になり、それが今も宗像地域の人々の生活に息づいています。
宗像三女神を祀る「宗像大社」
宗像大社は、「古事記(712)」「日本書紀(720)」にも登場する全国でも有数の古社で、全国に6200社ある宗像三女神を祀る神社の総本宮です。
宗像三女神とは天照大神の御子である3人の女神のことで、田心姫神(たごりひめのかみ)は沖ノ島の沖津宮、湍津姫神(たぎつひめのかみ)は大島の中津宮、市杵島姫神(いちきしまひめのかみ)は九州本土の辺津宮にお祀りされ、この三宮を総称して「宗像大社」といいます。
もともとは海上交通の神様なのですが、自動車が普及するにつれ交通安全の神様となりました。福岡県内で新車を買った人は宗像大社で車祓いをすることが多く、車につける交通安全のお守りは宗像大社が発祥です。
「神宿る島」宗像・沖ノ島
沖ノ島は全島が宗像大社の境内地になっている神の島です。宗像大社の神職1人が10日交代で島に常駐し、毎朝社殿で神事を行なっています。(神職を島へ送るのは大島の海上タクシーのお仕事です。)
「海の正倉院」と呼ばれる理由
朝鮮半島や中国大陸との交流が盛んに行われた4世紀後半から9世紀末、沖ノ島を経て朝鮮半島へ渡る海上ルートは、国家にとって重要なルートでした。そのため沖ノ島では航海の安全を願って、貴重な奉献品(金の指輪やガラスの杯など)を用いた国家祭祀が行われました。
沖ノ島には、厳しい入島制限や、島のものの持ち出し禁止などの禁忌があり、これらの遺跡がほぼ手つかずの状態で残りました。沖ノ島から発見された8万点に及ぶ膨大な数の神宝は全て国宝に指定され、このことから沖ノ島は「海の正倉院」といわれています。
禁忌
沖ノ島にはいくつかの禁忌があります。女人禁制であり、男性も宗像大社の許可なしには上陸できません。上陸する際には、真冬でも裸で島の前の海中につかって禊をします。また、沖ノ島のことは恐れ多いのでみだりに語ってはいけないとされ、そのためこの島は「不言様(おいわずさま)」といわれてきました。島にあるものは一木一草一石、一握りの砂といえども持ち出すことは許されません。この掟は昔からのもので、今でも固く守られています。
沖ノ島を守ってきた漁師たち
宗像地域の漁師にとって、沖ノ島周辺の海域は昔からの良い漁場です。あまり知られていませんが、沖ノ島は現在でも海が荒れた時に漁船が避難するための退避港になっています。
大島の漁師は、昭和40年頃までは沖ノ島に小屋を立てて泊まりがけで漁をしていました。これはその頃(昭和初期)の写真です。
上陸前に禊をする様子も写真に残っています。
船の性能がよくなって大島まで日帰りで帰ってこれるようになったため、現在は小屋はありません。しかし現在でも、大島の漁師は漁の途中に沖ノ島に停泊すると、必ず献魚をしています。
また、漁師たちにとって船をつける港と鳥居をくぐった島の内部は明確に違い、鳥居の内は神の領域として、入ることはまずないそうです。
大島をはじめとする宗像地域の漁師によって、沖ノ島は現在まで守られてきたのです。
現地大祭
毎年5月27日に、明治38年に沖ノ島近海で繰り広げられた日本海海戦を記念して「現地大祭」が行われます。
年に一度だけ、宗像大社から抽選で選ばれた一般男性200人が沖ノ島に上陸し、祭典に参列します。現地大祭の前日は参加者全員が大島に宿泊するため、大島は賑わいます。
今年は約700人の応募があったそうです。福岡県のみならず、大阪、名古屋、東京など、日本全国から参加されています。www.asahi.com
構成遺産の紹介
沖津宮(沖ノ島)
沖ノ島全体と三つの岩礁からなる宗像大社沖津宮(むなかたたいしゃおきつみや)は、宗像大社の三つの宮の一つで、田心姫神(たごりひめのかみ)を祀っています。国史跡「宗像神社境内」の一部であり、天然記念物「沖の島原始林」に指定されています。
沖津宮遙拝所(大島)
18世紀までに大島の北岸に設けられた沖津宮遙拝所は、通常は立ち入ることのできない沖ノ島を遥か遠くに拝むための場です。その社殿は、島そのものをご神体とする沖ノ島に対する拝殿の役割を果たしています。
中津宮(大島)
宗像三女神の一神・湍津姫神(たぎつひめのかみ)をお祀りする中津宮は、島の南西岸に海を隔て、辺津宮と向かいあって鎮座しています。 永禄9年(1566)に造営された本殿は、伝統的な三間社流造で、県の文化財にも指定されています。
辺津宮(九州本土)
辺津宮は、宗像大社を構成する三宮の一つで、宗像三女神の市杵島姫神(いちきしまひめのかみ)が祀られています。 拝殿は天正18年(1590)に小早川隆景が再建したもの、本殿は天正6年(1567)に最後の大宮司となった宗像氏貞が再建したもので、共に国の重要文化財になっています。
新原・奴山古墳群(九州本土)
5〜6世紀に築かれた新原・奴山古墳群は、沖ノ島に対する信仰の伝統を築いた宗像氏のお墓です。福岡県内全体で約200基の前方後円墳が発見されていますが、そのうちの40基が宗像地域にあります。
宗像海人族
宗像地域には古代から海に関わりのある集団が暮らしていて「宗像海人族」と呼ばれました。優れた航海術を持った彼らは大和朝廷から重要視され、天武天皇の側室の一人、尼子娘(あまこのいらつめ)は宗像の豪族の娘です。
「宗像海人族」は航海の危険を乗り越え、古代において日本の発展に陰ながら大きな役割を果たしました。
世界遺産になると何がいいの?
沖ノ島の入島禁止の掟は、海上保安庁などと協力しながら守られていますが、船の性能が上がり短時間で海上を移動できるようになった現代では、宗像大社や地元の漁師だけで沖ノ島を守っていくのは難しい側面があります。
今後はその価値を広く知ってもらい、保護の必要性を訴えていく予定です。
地元の声
最初は世界遺産に登録することで「沖ノ島が荒らされるのでは」と反対の声もあったようです。今は概ね「世界遺産になったらいいね」という雰囲気ですが、立場によって少し見方が違うようです。
サービス業
世界遺産になったら知名度が上がって、大島に観光のお客さんが増えるので嬉しい。
漁師
世界遺産になっても沖ノ島の入島禁止の掟は変わらないので、どっちでもいい。
昔から大島に住む板矢さん
沖ノ島とそれを中心とする信仰には価値がある。民族の宝。みんなで守っていかないと将来に残せないので世界遺産になって欲しい。
まとめ
世界遺産として認められるかどうか、来月上旬には決定します。ですが、もし認められなかったとしても、大島を含む宗像地域に暮らす人々は、これまで通り沖ノ島と宗像大社を大切に信仰していくでしょう。
また、ここまで読んでくださったあなたももう、大島にきてこの文化に触れたいと思われているのではないでしょうか?ぜひ大島に遊びにきてください。気が良くお酒好きな宗像海人族の子孫たちが迎えてくれることでしょう。
最後に
このブログを書くにあたり、昔から大島に住む方々にご協力を頂きました。
まず、沖ノ島と大島の関わりについてお話を聞かせてくださり、この記事のほとんどの写真を提供して頂いた 板矢 英之 さん。
大島のカンス海水浴場前で Musubi Cafe を経営されている草野ご夫妻には、板矢さんを紹介して頂き、お話を聞く場所を提供して頂きました。(あと甘夏ジュースも出して頂きました。美味しいので大島にきたらぜひ飲んでください。)
本当にありがとうございました!
追伸:板矢さんにお借りした写真は貴重なものが多いので、これを元にまたブログを書こうかと思っています。
参考サイトと書籍:
- 「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群
- むなかたさま - 日本神話から現代までの歴史 -
- 宗像遺産 <暮らし遺産編>
- 海の民宗像 - 玄界灘の守り神 -
- 探検!発見!むなかた - ふるさとの歴史 -
「漁師の妻」と「エンジニア」の自分、2つの世界での暮らしで気づいたこと
はてなさんからお誘いを受けて、はたらく女性の深呼吸マガジン「りっすん」に記事を寄稿させていただきました。
島に移住してそろそろ2年が経とうとしていますが、島と職場を行ったり来たりしていると、2つの世界で生きているように感じることがあり、その違いや日々の生活や仕事について書かせていただきました。
仕事の息抜きに深呼吸をする感じで、読んでいただければ嬉しいです(^_^)
話は変わりますが、今日は会社に出社しています。
出社する日は朝一番の 6:50 発のフェリーに乗ります。最近は夜が明けるのが早くなってきて、今日はフェリーに乗る前に真っ赤な朝日が見えました。
そろそろ桜が咲きそうですね。花見(飲み会)のお誘いお待ちしております!
島での年末年始 〜ブリの出荷から初日の出まで〜
新年あけましておめでとうございます!
年末年始は田舎に帰省してゆっくりされましたか?大島にも都会から戻ってきている方がたくさんいらっしゃいました。年末年始は島の人口が1割くらい増えていたかもしれません。
年末年始の過ごし方はその地方の習慣があったり、人それぞれとは思いますが、大島での年越しはこんな感じでした。
12月29日 ブリ出荷
毎年29日にお正月用のブリが出荷されます。
福岡のお正月にブリは欠かせません。博多のお雑煮にはブリが必ず入りますし、お刺身で食べたりもします。
また、もう今は知らない方も多いのですが、福岡など九州北部の一部では「嫁ブリ」という習慣があります。結婚した年の年末に、妻の実家にブリを丸ごと1匹送るというもので、娘さんは「よか嫁ぶりです」という意味があります。大きければ大きいほど良いとされていて、大きなブリが嫁ブリになります。
そんな思いを乗せたブリたちを出荷して夫の2016年のお仕事が終わりました。
12月30日 大掃除
これは全国共通ですが、うちでも家の大掃除をしました。
人間が一生懸命掃除をしている間、猫は何をするでもなく、まったりと外を見ていました。
12月31日 大祓
大島には宗像大社の中津宮があり、島民から崇敬を集めています。1年間を通して色々な神事がありますが、大晦日には大祓があります。
赤と白の人型が各家に配られ、白にその家の男性全員の名前、赤にその家の女性全員の名前を書き、各々自分の名前を書いた人型に2回息を吹きかけます。これを中津宮に持って行って祓い清めてもらいます。
島に引っ越してきて、神社が身近で島の人の信仰心が篤いことに驚きました。危険がつきものの漁師の家が多いので、そういった信仰心が育まれたのかもしれませんね。
1月1日 初詣
0時になって年が明けたら初詣に行きます。もちろん中津宮です。
参拝後におみくじを引くのですが、このおみくじ、本当にくじになっています。特等から30等まで、宗像大社の縁起物やダイソンの掃除機、ノンオイルフライヤーなどが当たります。
中には10回以上引く方もいるそうですが、うちは6回引いて、一番良かったのが中吉の10等でした(^_^)
1月1日 初日の出
福岡の日の出は7時23分だったので、6時半頃に家を出て、大島で一番高い御嶽山(標高224m)の山頂に向かいました。
すでに10名くらいの方が来ていたので、一緒に日の出を待ちます。
毎年ここで初日の出を見る方達がいて誘って頂いたのですが、実は私、今まで初日の出を見たことがなかったので、行って良かったです。
日の出を待っている間に人も増え、最終的には30人くらいになりました。
そして、人生初めての初日の出を見ました。
初日の出を見た後には宴会が始まりました。
私もお酒とブリ大根を頂きました。味がしみてて温かくておいしかったです。
こういった振る舞い料理の習慣って素敵ですね。
最後に
仕事も始まり、もうお正月気分はすっかり抜けました。
今年の目標は、英語学習の成果を知るために TOEIC を受験することです。あわよくば外国人向けの観光ガイドでもやろうかなと。まあ、それはどうなるかわかりませんが、何か1つでも仕事や行事で大島に関わることができればいいなと思っています。
今年も1年間よろしくお願いいたします<(_ _)>
「5年後のLifeStyleを職業から考える~エンジニアという選択肢~」に登壇させていただきました
先月の話になりますが、11月19日に東京で行われた、リクルートキャリアさんのイベント「5年後のLifeStyleを職業から考える~エンジニアという選択肢~」に登壇させていただきました。
登壇することになった理由
今、ITエンジニアの数が足りないと言われています。そのため人材不足に悩む企業では、入社後の研修を充実させ、学校でプログラムを学んだ人だけではなく、全く異業種で働いてきた人も IT エンジニアとして活躍してもらおうという動きがあります。
私はすでに異業種から IT エンジニアに転職した例として、リクルートキャリアさんにお誘いいただきました。私の経験がこれから転職を考えている方の参考になればと思い、お話しさせていただきました。
ITエンジニアになる前
私は高校卒業後、5年間バスガイドとして働き、主に九州・山口を回っていました。歴史が好きなので色々な場所に行けて、そこの歴史を知ることができたのは楽しかったです。
仕事を続けるうち、結婚・出産後も続けられる職業に就きたいと思い(バスガイドは出張が多い仕事なので結婚退職する人が多い)、転職を決意しました。
大島から東京へ移動
イベントのためほぼ3年ぶりに東京に行きました。受託開発のプロジェクトマネージャーをしていた時は、月1くらいで東京に出張していたので懐かしかったです。
大島から東京までは、6:50 始発の船に乗り、バス・JR・地下鉄・飛行機・電車など、乗り継ぎ6回、約7時間かかりました。
イベント当日
イベントは東京駅のすぐ近くにあるリクルートキャリア本社のセミナールームで行われました。超高層ビルを見て「別世界だ...」と一気に緊張してしまいました。ちなみに大島で一番高い建物は4階建の漁民アパートです。
イベントの様子
イベントの様子は以下の記事が詳しいので、是非こちらをご覧ください。
女性参加者が多かった
私の所感としては、上記の記事にも書かれていますが、IT 系イベントのわりには女性参加者が多いと感じました。
IT エンジニアという職業は結婚や出産をしても続けられます。実は女性にオススメの職業だと思いますが、現状、女性は少ないです。私が働いているヌーラボだと、全ての IT エンジニアのうち女性はわずか8%です。
こういうイベントをきっかけに女性エンジニアが増えるといいなと思います。
移住や在宅勤務に興味のある方も
また、移住や在宅勤務に興味のある方も多かった印象です。
在宅勤務は自由なようですが、私はいつも監視されています。(猫に)
というのは冗談ですが、在宅勤務は疎外感を感じやすかったり、仕事で詰まった時に相談しにくかったりと、気をつけないといけないことも沢山あります。
それでも、私が今離島で生活できているのは在宅勤務のおかげなので、それが可能な IT エンジニアという職業を選んでよかったと思っています。
キャリア相談コーナー
キャリア相談コーナーでは、福岡に移住したい方、九州にUターンしたい方、在宅勤務をしたい方、IT エンジニアとして働いていたけど休職中で、 復職するか別の業界に転職するか悩んでいる方など、本当に色々な方がいらっしゃいました。
時間に限りがあり、少しづつしかお話しできなかったのが残念です。来て頂いた皆様のキャリアチェンジが上手くいきますよう島から願っています。
終わりに
このイベントの後、内定を持っているけど迷っていた方が2名も、エンジニアの会社へ転職を決めたと聞きました。少しでも参加者の方のお役に立ててたらいいなと思います。
今年も残り1日ですね。よいお年をお迎えください( ´ ▽ ` )ノ
大島では冬のウニ漁のシーズンです(知られざるウニ加工について)
年の瀬も押し迫ってまいりましたが、お正月の準備はお済みでしょうか?
大島では今まさに、お正月のためのウニ漁が行われています。
お寿司屋さんや居酒屋さんで食べる高級品のウニと、海の中で見るあのトゲトゲした物体が結びつかない方もいらっしゃるのではないでしょうか?
私もイマイチ結びついていなかったのですが、大島に住んで、ウニがトゲトゲから高級品になる過程を知ることができたので、知られざるウニ加工について、ちょっとご紹介してみます。
ウニ漁について
大島では、ウニ漁は年2回シーズンがあり、夏は赤ウニ、冬は紫ウニを取ります。資源保護や他の漁との兼ね合いで、漁ができる期間はそれぞれ1週間程度です。
ウニはこういう岩場で泳いでいても見ることができますが、漁の時は船で少し沖にでて獲ります。
夫が海に潜ってウニを取り、妻がそれを全て手作業で板ウニに加工する、という役割分担をしています。
板ウニができるまで
ウニが、お店で見るあの板ウニになるまでには、以下のようなステップを踏みます。
1. 海から取って来る
夫達はウェットスーツを着て素潜りでウニを取ります。真冬なので寒そうです(>_<)
この袋1つにおよそ200個のウニが入ってます。
2. ウニの殻を割る
ここからは妻のお仕事です。ウニをひっくり返して専用の器具で真っ二つに割ります。
鮮度が命なので、夜に子供を寝かし付けつつ作業します。本当に頭が下がります(>_<)
3. ウニの身を取り出す
ウニの身を蟹スプーンのような道具を使って取り出します。この時、身が崩れないようになるべくきれいに取り出すのですが、作業者の熟練度によって、身のきれいさとスピードが全然違います。
ものすごい速さできれいにくり抜く達人のおばあちゃんがいるそうなので、そのうち作業を見学してみたいと思っています。
4. ウニの身を洗う
取り出したウニの身には、身以外の不純物もついていたりするので、1つ1つ洗ってきれいに取り除きます。
5. ウニの身を板に並べる
なるべく大きさを揃え、きれいに並べます。大きくてきれいな身が揃っている板は、そうでない板の3倍のお値段になるそうです。
1つの板を作るのに必要なウニの数はおよそ30個。個数と手間を考えれば、ウニのお値段にも納得です。
6. 出荷
こうして作られた大島の板ウニは、宗像市の道の駅むなかたや福岡市の長浜鮮魚市場に出荷されます。
ちょっとつまみ食いさせてもらいましたが、甘くてクリーミーで美味しかったです(╹◡╹)♡
お正月のご馳走として、大島の美味しいウニを是非食べてみてください!
おまけ
身を取り出したウニの殻は、最後に畑の肥料になります。殻も無駄にしないとは...。エコですね!
最後に
うちはウニ漁をしていないので、島の方数名にご協力頂いてブログを書きました。
ウニ加工の工程を教えてくれたのは、フィッシャーマンキッチンの奥様です。
いつもは大島フェリーターミナル前で地元漁師の獲って来た魚をフライにした「漁師サンド」を販売されていて、私も大ファンです。
基本的には大島に来ないと食べられないのですが、1月7日8日に太宰府の九州国立博物館で、特別展「宗像・沖ノ島と大和朝廷」の関連イベントとして宗像の特産品を集めた「満腹祭」が開催され、そこに出店します。
お近くの方はこの機会にぜひどうぞ( ´ ▽ ` )ノ